001.いろんなひと

 相対的な思考が少ないわたしは、基本的に好きなひとにしか興味がない。だから、広く浅い行動をとらず、かといって、心を閉ざしているわけでもなく、偏見を持たないほうでもあり、自分からは敵意を向けないし、何方かを好きになるのには、ひとの噂も評価も関係ない。全てはわたしの認識に由る。

 そうなもんで、すっかり親しくしている場合を除くと、受け身でいることが常になる──不思議なもので、そのほうがいろんな方に出会うことになるような気がするこの頃だわ。

 うんと親しい相手こそ口にも出さずにいることを、簡単に云えるひともいる。

 それをわたしに教えてきたのは、幼いときから苦手な伯母だった。
 住んでいる市が違ったために、頻繁に煩わされることはなかったが、親族が集まるときには憂鬱の種で、、、わたしは、どうもチビの頃から勘がいい。それは、わたしの境遇にも関係しているに違いないのだけれど、そのことを書くことはきっとないだろう。見るひとが見れば、個人が特定されてしまうから。
 話を戻すと、わたしのことを良く思ってはいない相手がすぐわかる。そのアンテナは身を守ってくれるから。小さな頃から未だに変わらないわたしと同じで、伯母も生涯変わらなかった。
 わたしが三十代で乳房をひとつ切除すると、その頃にはもう年齢も嵩み、滅多に此方へ来ることもなくなっていた伯母がやってきた。
 わたしはまだ小学生だった息子たちを置いていかずに済んだだけで倖せに思っていたのだが、周囲はやはりまだ過敏になっていた。だが、伯母は云った。辛うじて、「大変だったね、元気そうで良かった」が先にあったが、そのすぐのふた言め。

「それで、どうするの?」
「え?」
「今はできるんでしょ?」
「何が……」
「おっぱいは膨らますの?」
「……いいえ」

 幸い転移はなかったが、通院は続いており、再発の恐怖を拭いきれる時期にもなかった。悪気はないのだろうが、伯母には心がない。

 そのとき、長らく封印していたことを思いだした。わたしは伯母を嫌いだが、されたことを根に持ってはいない。人となりを静かに認識しているだけだ。だから、いつもは忘れ去っている。
 このもっと前に、わたしが最初の子供を失ったときだ。まだ、次男と三男はこの世にいなかった。わたしもとても若かった。
 多くの方々よりも少し早くに親許を離れたわたしは、その頃はまだ在京で、名伏し難い慟哭の中にいた。ナンバーディスプレイは導入されたのも記憶に新しく、早速に取り入れていたくせに、わたしは伯母からの長距離電話を受けてしまった。
 何故なら、嫌なひとにほど弱味を見せたくはないし、礼儀を欠いては何を云われるかわかったものじゃない。こんな最中に出歩くわけもなく、伯母の実妹である母の顔も潰せない。頂戴した御香典のお礼を云わなければならなかった。
 ひと通りの会話を無事に済ませると、伯母は云った。とても伯母らしかった。
「子供はまたできるから元気を出しなさい。今度は大切にね」

 二歳を迎えることのなかった小さな小さな命だったが、何十年たった今でも宝物である。亡くなるまでも、わたしの全てであった。大切で、大切で、大切過ぎて、、、あとになって思い返すと異様なほどに失うのを怖れていたくらいの我が子だ。
 伯母は若い頃に教職についていたひとだ。彼女のことで、胸の中が鎮まり返るようなエピソードは山とある。
 そんな伯母も数年前に鬼籍へ入り、わたしは静かな心のままで冥福を祈った。

 言葉は怖い。世の中にはいろんなひとがいる。
 いろんなひとに、わたしは出会い続けている。

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